子どもの主体性を大切にしてきたつもりだった

前回の記事では、『「ほどほど」にできない子どもたち――達成中毒』を読みながら、受験において評価のものさしが増えることの息苦しさについて書きました。
勉強だけでなく、スポーツに課外活動、リーダーシップ……。
評価される領域が増えれば増えるほど、子どもの生活のなかから「評価されない場所」がなくなっていきます。
そして記事の最後は、こんな問いで終えました。
競争的な環境から子どもを守りたいと思ったとき、親はどう関わればいいのか。
今回は、その続きです。
主体性を大切にしてきたつもりだった
私はこれまで、子どもたちの主体性をかなり大切にしてきたつもりです。
習い事も進路も、基本的に本人が決める。何かを無理やりやらせることもしない。親の敷いたレールを走らせるような子育てからは、距離を置くように心がけてきました。
しかし、『達成中毒』の第2章「名づけて、飼いならす」を読んだとき、ちょっと嫌なところを突かれたと感じました。
子どもに自由と自己発見の余地を与えているつもりでも、実際には、親である自分の中に「こっちに向かってほしい」というゴールがあり、コミュニケーションを巧みに使いながら、そちらへいざなっているのではないか。その事実を突きつけられたからです。
プチ読書会をやっていた当時の放送では、こんな趣旨のことまで話しています。
「子どもへの働きかけ方を変えただけで、中身は(親の思いを押し付ける管理型の子育てと)そんなに変わらないんじゃないか」
ただ、だからといって、親が何も言わず、何も示さず、完全に自由にさせればいいのかというと、それも良い関わり方とは思えません。子どもが知らない世界を見せることも、環境を整えることも、親の役割だからです。
考えれば考えるほど悩みは深まるばかりで、正解などちっともわかりませんが、せっかくなので、『達成中毒』を読んでから見え方が変わった自分自身の関わり方について、子育てのふりかえり的にまとめていきたいと思います。
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- 「あなたはこういう子」が持つ影響
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- 自分で選んだ手ごたえを、彼らのなかに残すために
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