探究学習はどこでズレたのか
探究活動、いまかなり燃えていますね。
ここ最近、X(旧Twitter)を見ていても、 「探究ってこれでいいの?」 「高校生が大学の先生に直接メールするのはアリなのか?」 そんな議論が一気に噴き出してきた印象があります。
発端のひとつになったのが、 AERA DIGITAL に掲載された、こちらの記事です。
タイトルは 「総合型選抜に有利だから?…高校の『探究学習』で大学の研究者たちが疲弊 話がかみ合わず『1人に10時間』かかったケースも」。
なかなかインパクトのある見出しですよね。
探究学習をめぐって、いま何が起きているのか
記事の内容をざっくりお伝えすると、
探究学習の一環として、高校生が大学の先生に直接連絡を取り、
質問や助言を求めるケースが増えている。その結果、大学側の負担が急増し、さまざまな課題が表面化している、というものです。
高校生が積極的に専門家にコンタクトを取ること自体は、一概に否定されるものではありません。 むしろ、学びを深めようとする姿勢として、肯定されるべき側面もある。
ただ、 その数が一気に増え、内容も玉石混交になる中で、大学教員の側がかなり疲弊している。そこに問題の核心があります。
強調しておきたいのは、この話は「高校生のマナーが悪い」とか「大学の先生が冷たい」といった、単純な善悪の問題として捉えるべきではない、という点です。
この記事が浮かび上がらせているのは、探究学習が制度として広がる過渡期であるがゆえに生じている、構造的な歪みです。
私はこの記事を読んで、
特に大きい歪みが2つあると感じました。
「問いを育てる学び」ではなく「受験のための成果物競争」になっている
まず1つ目。
本来、探究学習というのは、自分が立てた問いに対し、自分なりの解決案や仮説を持ち、調査によって得た情報を整理・分析したり、他者と意見交換(協働)しながら、問いそのものを深めていく性質の学びです。
ここで大事なのは、自分なりの仮説を立てて、検証していくというプロセス。
当然、 仮説が外れることもあるし、 途中で問いそのものを修正することもありえる。
その意味で、探究学習はかなり不確実で、遠回りの多い学びなんですよね。
ところが現場では、
「大学入試に使える成果を作らねば」
「専門家のコメントをもらえれば強い」
といった発想が、どうしても前面に出てきてしまっている。
その結果、問いを育てるプロセスよりも、見栄えのいい成果物をどう作るかに学びの重心が移っているように感じます。
これは、探究学習の設計思想とは、かなりズレています。
探究学習は本来、迷っていい、うまくいかなくていい学びのはずなのに、いつの間にか失敗できない学びに変質してしまっている。
これが、1点目です。