教育が外注しづらくなっている
その一言の背景には、やる気でも覚悟でもない“構造”があります。教育が外注しづらくなった時代。家庭はどこで線を引けばいいのでしょうか。
最近ありがたいことに、講演会や勉強会、あるいは個別の教育相談など、いろいろな場でお話しする機会が増えました。そんな場で、新しい教育実践の話をすると、かなりの確率でいただく反応があります。
「いい話でした」
「勉強になりました」
「視野が広がりました」
もちろん、そう言ってもらえるのは嬉しいです。ただ、裏返すと、こういう含みがあるとも感じます。
「内容は魅力的だったけど、わが家で回る気がしない」
「そこまで腹をくくれない」
最初は「リスクを取れないのか」と思っていた
正直に言うと、最初のうちは「リスクを取って新しい選択肢に踏み出すのって、そんなに怖いかな?」と思っていました。
でも最近では、むしろ「ちょっと申し訳ないことをしたかな?」と思ったりもします。
世の中には今、「教育はこうじゃなきゃいけない」「何歳までにこれができるようにならなきゃいけない」といった空気感が蔓延しているように感じます。そんななかで、「いやいや、そんなことないよ。王道じゃない教育ルートもあるんだよ」という気持ちを込めて、さまざまな事例をお話をしているつもりです。
しかし、視野を広げて選択肢が広がると、選ぶのに負担がかかるのもまた事実です。
いろんな事情があって行動に移せない方もたくさんいらっしゃる中で、私がやっていることは、余計に人を迷わせているだけなのかもしれない。悪いことをしているのかな…そんな風にも思うようになってきました。
こうしたことが何度もあるなかで、うっすらと見えてきたことがあります。
どうもこれは「リスクを取って踏み出す勇気があるかないか」の問題ではなさそうだ、ということです。もっと構造的な原因がある。
今日はその典型例を2つ挙げます。
原因① 情報はあっても、生活の余白がない
一つ目は、情報収集はできても家庭のリソースが足りないという問題です。
共働きが当たり前になり、リモートワークが解除されて出社中心に戻る会社も増えました。さらにAIなどのツールが普及した分、仕事の密度は下がるどころかむしろ上がっている。時間だけでなく、集中力・判断力も削られていく感覚がある人は多いと思います。
家でも大変です。朝は、子どもが小学生以下なら出社前のバタバタがある。中高生になれば弁当づくりなど別の負荷が増える。夜は夜で、帰宅後にピークタイムが来ます。宿題、明日の準備、食事やお風呂などの生活を回し、睡眠も確保する。限られた時間では、タスクを片付けることが最優先になります。
こうなると、一日をこなすだけで精一杯。そこに「新しい教育実践」や「これからの教育動向」といった情報が入ってきても、じっくり考える余裕などない。これは甘えでも怠慢でもなく、単純なリソース不足、社会構造の問題だと思います。
週末も「考える余白」にはなりにくい。習い事の送迎に、たまった家事。買い出しに、たまのレジャー…。スキマ時間にSNSやWEBで情報を取るところまではギリギリできても、「検討する」「話し合う」「試す」まではエネルギーが回らない。
こういう状況は、今の社会では特別な家庭の話ではありません。
原因② 夫婦間の価値観ギャップが、意思決定を重くする
もう一つ大きいと感じるのが、夫婦間の価値観のズレです。
パターンはいろいろあります。
たとえば、子育て・教育の主担当になっている側は、日々情報に触れる中で意識が更新されていく。一方で、仕事がメインの側は、日常が回っていれば困らないので、同じ速度で認識が更新されない。自分が若い頃の成功モデルが、今も通用すると確信しているケースもあるでしょう。実際、そのモデルで教育を受けた自分が今現在成功している以上、わけのわからない新しい実践など不要。そう感じていても不思議ではありません。ここに家庭内の情報ギャップ・意識ギャップが生まれます。
逆のパターンもあります。
子育て・教育主担当の側が周囲の“王道ルート”に引っ張られて、みんなと同じであることに安心を感じる。一方で、仕事メインの側は「これまでの成功モデルではこの先通用しないかもしれない」と感じ、より先進的・実践的な選択をしたい。しかし話が噛み合わない。
どちらにしても、夫婦の合意形成にはカロリーがかかります。しかも忙しい。価値観のすり合わせにはエネルギーを割きづらい。その結果、「無難そうな選択」に落ち着く。
これも仕方のないことだと感じます。
せめぎ合う「成功モデル」
これまでの成功モデルがこの先も確実に通用する。そう心から信じられる時代なら、まだ悩みは軽かったかもしれません。ところが今は、昔ながらの成功モデルと、新しい教育モデルがせめぎ合っている。決めるだけでしんどい状況です。
親はだれだって、子どものことで失敗したくない。だからこそ、決めること自体に多大なエネルギーが必要になります。ここに、今の時代特有の重さがあると感じます。
新しい教育実践は、家庭での運用負荷が重たい
そこへきて、もう一つ厄介な要因があります。
主体性教育、探究学習、課外活動。こうした“新しい教育実践”は、昔ながらの成功モデルと比べると、家庭内での運用負荷が重い。家庭での伴走がある方が回りやすい取り組みになっています。
学校は学校でやってくれます。総合的な探究の時間などで、全体に向けたガイダンスや、機会提供・環境提供は行われる。ただ、実際に「よりよくやろう」とすると、家庭側の仕事が一気に増えます。
● テーマ探し:日常の様子を観察し、ヒントを拾う
● 押し付けない工夫:対話(壁打ち)で本人の納得感を作る
● 締切管理:提出期限から逆算した進捗の管理(外部コンテストがあればなおさら!)
● 品質管理:どこまで仕上げるかの見極め
● フィールドワーク:外部調整、移動、付き添い、待機
● 実験・制作:安全管理、材料手配、段取り補佐
こうした付帯タスクが「ドバドバドバッー!」っと出てきます。
ただタスクが増えるだけなら、最悪お金で解決できるかもしれない。ところが、ここにも大きな壁がある。子どもを一番近くで見ているのは、多くの場合、親です。だれかに任せるためには細かなニュアンスの共有が必要になります。任せようとしても、伝えるコストが高すぎるのです。
これまでの教育は、塾に行って勉強してもらえばひとまずなんとかなる、ある種パッケージ化されたものでした。しかし、その手が使いにくい。ここに「教育が外注しづらくなっている問題」があるのです。
「なんとかなる」の積み重ねが、家庭を報連相モードにする
やらない方がいいというわけではありません。とりあえずやってみようとチャレンジするのは良い心がけです。
でも、最初は「なんとかなる」と思って始めても、伴走にともなう細々したタスクが積み重なると、ストレスが溜まります。私自身、専業で家庭を回していた時期には、タスクが膨れ上がってしんどくなる瞬間がありました。子どもが複数人並行して動くとなればなおさらです。
そうすると家庭内の会話が、気づくとこうなっている。
「あれどうなった?」
「次どうする?」
「まだ決めてないの?」
まるで職場のような"報連相モード"。報告・連絡・相談のコミュニケーションが増えていく。これが悪いわけではないけれど、子どもがのびやかになりにくい。追われてやるやっつけ仕事になり、本人の魂が乗らない状態になります。本来は可能性に満ちあふれているはずの新しい教育実践が、家庭にとって重たいものとして立ち現れてしまうこともあるのです。
家庭のキャパシティの、どこに線を引くのか
教育トレンドの変化と家庭の関わり方。そこに否応なく突きつけられる、家庭のキャパシティの線引き。これは各家庭がそれぞれの状況の中で答えを見つけていくしかありませんが、本当に難しい問題だと感じます。
私自身、新しい教育実践を推進するスタンスですし、それは大事なことだと信念をもっています。しかしながら、この家庭の負担を重くしているいる点については、ずっとモヤモヤしたものを感じながら、日々向き合っています。
最後に、ここからは、私が教育相談を受けたとき、どのような前提を重視して向き合っているかを書きます。一般論ではなく、あくまでも私自身が大切にしている価値観にもとづく話です。