「ゆっくり育つ」を認める個別最適な学びは可能か
制度から抜け落ちている「降りる」という選択肢
knockout
2026.01.01
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今回は、リスナーの方からいただいたメッセージをきっかけに、次期学習指導要領のキーワードとも言われる「個別最適な学び」について、少し踏み込んで考えてみたいと思います。
メッセージは、こういうものでした(※一部抜粋および表現を修正しています)。
少し視点は違うのですが、日本では、欧米でよくあるような、1学年下を選択する権利や、ポジティブに留年(=やり直し)することを認めるような議論はあるのでしょうか。
以前、パックンが、幼稚園の先生の勧めでお母さまが納得し、1年下の学年で育った結果、「そのおかげでハーバードまで行けた」と話されていたのが印象的でした。発達段階に適した学習によって自信を持てた、という意味だったと思います。
また、フランスでは、学力が一定の基準に達していない場合、同じ学年をもう一度やり直すという制度があり、そこにネガティブなイメージはない、という話もどこかで読みました。(辻仁成さんのブログだったでしょうか……)
自分も子どもを育て、小学校にも深く関わっているのですが、子どもそれぞれの成長速度、というか成熟度は、本当にバラバラだなと感じます。勉強にしても、スポーツにしても、芸術系にしても同じです。その中で、成長がゆっくりな子は、「自分はできない」という認識で育たざるを得ない場面が多い。うちも、スポーツではすっかり自信を失わされました。
日本では、生まれた年度で揃えて一緒に育ち、果ては就職活動でも新卒という枠まであります。この寄り道やゆっくり育つことがしづらい環境こそが、なかなか個性を伸ばしづらい理由なのではないかと感じています。
勉強についても、せめて義務教育は「できるようになるまでやる」ことが許されたり、進路選択のタイミングでギャップイヤーを設けることが、もっと自然に受け入れられたりしてもいいのではないでしょうか。
もう少し、成長の多様性が認められてほしいと思うのですが、いかがでしょうか。
もし、そういった議論が文科省周りで行われているようでしたら、ぜひ取り上げていただけると興味があります。
“人生100年時代” と言われる一方で、子ども時代の1年、2年の遠回りが、あまりにも致命的なものとして扱われてはいないか。
これは、私自身、長く感じてきた違和感でもあります。
文科省や中教審での議論を紹介する前に、まずはこの問いに対する私自身のスタンスを整理しておきたいと思います。
現状の「個別最適」に違和感を覚える3つの理由
いただいたメッセージは、個別最適化学習という言葉の核心を鋭く突いていると感じました。
というのも、個別最適化の議論は、とかくできる子がどんどん先に進むことを前提に語られがちだからです。 制度的にも「飛び級」は語られても、その逆、つまり、同じ場所にとどまる、一段階下げる、といった選択肢はほとんど議論されません。
でも、本来、自分に合った学びを考えるなら、ゆっくり進むことも選べて然るべきですよね。
この前提に立ったうえで、私のスタンスを3つに分けてお話しします。
①「〇歳までに〇〇できるように」は教育的なアプローチではない
率直に言って、私は「いつまでに、何ができるように」という教育論が苦手です。