チャンスをつかむ力、人を頼りながら生きるということ

「入学準備として、文字の読み書きや計算ができるようになっておく必要はありません。ただ1つだけお願いしたいことがあって、困ったとき、悲しいときに、自分から先生に助けを求められるよう、おうちで練習しておいてください」
先週の音声配信で、雑談相手のはるなさんが、小学校の入学説明会で先生から聞いた話として紹介してくれた言葉です。
これを聞いて、とても実用的なアドバイスだなと感じました。すごく納得感があったんですよね。そして同時に、「あれ、これって小学校入学の話だけじゃないな?」と感じました。中学生や高校生、そして大人にも、そのまま通じる話なんじゃないかと。
今日はこの話を起点に、私がコーチとして関わっている中高生の活動の現場で感じていることも交えながら、【チャンスをつかむ力】について考えてみたいと思います。
同じ活動量なのに、なぜ差が出るのか
私はいま、中高生の課外活動を支援する現場に関わっています。国際的なロボットコンテストに挑戦する生徒たちをコーチという立場でサポートしているのです。
そこでのやりとりを通して、あるいは、Slack上で生徒たちの動き方を見ながら、常々感じていることがあります。それは、生徒の資質によって成長角度が全然違う、ということです。
もちろん、課外活動ですから、参加頻度やコミットの量が違ってしまうのは当たり前です。学校の勉強、塾、部活動、プライベートの予定……みんな忙しいなかで時間をつくって参加しています。
ただ、それとは別に、同じくらい参加しているはずなのにグッと伸びる生徒と、がんばっているのにちょっともったいない生徒がいる。
この差は、偏差値的な知識量、いわゆる認知能力の差だけでは説明できません。
違いが出るのは、手を挙げる力と、助けを求める力にあると感じます。
たとえば、チームで新しい課題に直面したとき。
「やったことないですけど、やってみたいです」と、さっと手を挙げる子がいる。
準備万端じゃなくても、とりあえず動き出す子がいる。
そして、やってみた結果、どこかで行き詰まる。
そのときに、「これ、どうしたらいいですか?」と、気軽に聞ける子がいる。
逆に、身軽に動けない子、聞けない子もいます。
準備が出来てない自分が担当することでメンバーに迷惑をかけたくない、失敗したくない、恥ずかしい。理由はさまざまでしょう。この慎ましさは、ひとつの美徳です。
でも、この時点で差が出る。
動ける子は、軌道修正が早い。立て直しも早い。次の挑戦にも入りやすい。
動けない子は、ひとりで悩んで時間が溶ける。抱えている間に、チームの時間も進む。
結果として機会が遠のいてしまいます。

資源は均等に配られないという、残酷な現実
ひとつ、言いにくい現実があります。
コーチとしての時間や関心、提供できる機会、助言の“濃さ”は、理想を言えば平等に分配したいと思っています。しかし、実際には偏りが出ます。
なぜか。
中高生を相手としたコーチという立場上、こと細かに指示を出すスタイルを私はとっていません。大枠のガイドラインを示しつつ、細かいやり方や進め方は自分たちで考えて動いてほしい、何かあれば手助けする、というスタンスです。そうしないと彼らの活動ではなく、こちらの活動になってしまうからです。
つまり、彼らの側からアクションを起こしてもらわないと前に進まない構造になっています。
そうなると必然的に、手を挙げた子にチャンスが集まります。一方で、受け身の姿勢のままだと、チームは前に進めないし、本人の成長機会も限られてしまう。
これはある意味、残酷な現実です。
成長のリソースは偏って分配されるだけでなく、その差は広がり続ける。チャンスをつかんだ子が、次のチャンスもつかみやすくなる循環が、現場では実際に起きています。
現行の学習指導要領の中では「主体性」がとても重視されています。そのことには賛否両論あるにしても、その概念を重視したくなる気持ちは、現場を見ていると本当によく分かります。
「チャンス獲得能力」という資質
お勉強的な認知能力、あるいは、最近注目されている探究学習のように自分の問いに向かってぐいぐい進んでいく力。そういったものとはまた少し異なる、別の資質がここにはあると私は感じています。
あえて言葉にするなら、「チャンス獲得能力」とでも呼べるでしょうか。
自ら動いてチャンスをつかみ、経験の中で成長する。成長が自信となり、また次のチャンスへ向かう原動力が生まれる。さらにその経験を通じて人脈やポジションが築かれることで、より大きなチャンスを引き寄せやすくなっていく。こういったサイクルを回せるかどうか。
これはたとえば偏差値を上げるような努力とは、少し異なる次元の話だと思っています。
では、この「チャンス獲得能力」というのは、生まれ持ったものなのでしょうか。それとも、後から育てられるものなのでしょうか。
子どもを3人育ててきた実感として、正直に言うと、生まれ持った資質がかなり大きいと感じています。体感では7割くらいは、もともとの気質で決まっているのではないかと。
ただ、だからといって「じゃあ無理だ」と諦める必要はないと思っています。
仮に、後から伸ばせる部分が3割だとしても、3割は小さくない。その3割を伸ばすために何ができるかを考えることは、十分に意味のあることだと思います。
では、いったいどうすれば「チャンス獲得能力」は伸ばせるのでしょう。そしてもし伸ばせるとしたら、どんな環境や経験がポイントになるのか。
ここで個人的に鍵になると思っているのが、心理的安全性です。
自分が思った通りに行動しても親や周りの大人に否定されない。失敗しても極度に追い詰められない。助けを求めたら周りが手を差し伸べてくれる。幼い頃からのそういった原体験が、じわじわと効いてくるのだと思います。
人を頼ることが怖くない、不安じゃないというマインドでいられること。
これはとても大きいです。
SNSなどでもよく言われますよね。
「本当に強い人は、人を頼れる人だ」。
これは真理だと感じます。
自分の限界を知り、その限界を超えそうになったら誰かに身を預けられる。人に頼るのは弱さのように見えて、実はそれができることが強さなんです。
「責任感を持って何かをやり遂げる」と言うと、個人の中で完結させる能力のように聞こえがちですが、実際の社会では全然そんなことはなく、周りに頼れる人がいるなら頼りながらやっていけばいい。
そうやってうまく乗り越える経験ができたら、次はもう少し難しい挑戦に打って出られる。ストレッチゾーンに一歩踏み出せる。他の人の力を借りながら自分の限界の先へ向かっていける。
この姿勢こそが、偏差値を上げる努力とも、淡々と自分の問いを突き詰める力ともまた違う、もう一つの重要な力なのかなと感じています。

娘の春、知らない土地へ
ここで少し個人的な話をさせてください。
娘が今年の春、地方の高校に進学することになりました。本人も私も妻も、知り合いが誰一人いない土地です。
彼女はスポーツをやっていて、競技環境が整っているところに行きたいという条件を最優先にして進学先を選んだところ、その学校が志望校になった、という経緯です。
知らない人ばかりの環境。しかも地方ですから、ある程度出来上がった固定的なコミュニティの中に外から入っていくことになります。これは相当試されます。
これまでの娘はどちらかというと、クラスの中でもあまり人と群れず、独立独歩でやってきたタイプです。一人でいることには慣れています。ただ、遠方で寮生活をするとなると、ずっと一人でいるわけにもいきません。生活の中で困ることは必ず出てくるはずです。
友達はもちろん、学校の先生やスポーツのコーチ、寮母さんといった大人にも、自分から助けを求め、巻き込みながら前へ進んでいかなければならない。これまで親がやっていたような交渉や調整も、自分がフロントに立ってやらなければなりません。
15年間、ある意味、一人で気楽にやってきた彼女にとって、今度は誰かを頼る必要が出てくる。これは彼女にとって大きな転換点になると思っています。
先ほど話した「チャンス獲得能力」というより、その一歩手前の話かもしれません。人間関係、社会関係資本とも呼ばれるものを自分で作り上げていくトレーニングをする。そういういい経験になるんじゃないかとも思っています。
同じ日本の中とはいえ、東京と地方ではカルチャーも違います。ただ、まったく言葉が通じないわけでも、生活様式が大きく異なるわけでもない。今の彼女にとってはちょうどいいくらいのストレッチ環境なのかなと、そんな風にも感じています。
そして、試されるのは娘だけではありません。
うまくいかないこともあるかもしれない。孤立することだってあるかもしれない。これは親である私と妻も同様に試されていることだと思っています。
娘本人の決断ではあるけれど、だからといって彼女だけにリスクを負わせるわけにはいきません。もし失敗してしまったら、その失敗をどう引き受けていくかは、彼女自身の問題であると同時に、私と妻の問題でもあり、家族全体の問題でもある。そう受け止めています。
親として、うまくいかないときに適切な距離感でどう関われるか。手を出しすぎず、かといって放置もせず。この距離感を保つことが、今の私たち夫婦に問われていることなのだろうと思っています。
読み書きの準備より難しいこと
冒頭で紹介した言葉に戻りましょう。
「困ったとき、悲しいときに、自分から先生に助けを求められるよう、おうちで練習しておいてください」
これは、読み書きや計算の準備よりも、ずっと難しいことかもしれません。そしてもしかしたら、それらよりも重要なことかもしれないとも思っています。
偏差値的なものよりも、探究的なものよりも、社会のなかで生きていく前提としての「人を頼りながら生きる力」をどう育てるか。
手を挙げる力。
助けを求める力。
失敗しても立て直す力。
そして、それらを育む土台となる心理的安全性をどう作るか。
今回はそんなことについて考えました。
子どもたちには、できるだけ平等な環境の中で育ってほしいというのが理想です。でも一方で、市場原理というか人間社会のメカニズムというか、決して綺麗ごとではすまない部分もある。手を挙げた子にどんどんチャンスとリソースが集まっていく現実は、どうしてもあります。
それを意識しすぎて過剰に適用するのもどうかと思いますが、かといって無視するわけにもいきません。うまい具合に世の中を泳げる力を身につけていってほしいなというのが、親としての正直な気持ちです。
娘の新しい春が始まります。どうなっていくか、親としてはドキドキしながら見守りたいと思っています。
じゃあ、家庭で何ができるのか
ここからは「チャンス獲得能力」を「生まれもった資質」で終わらせないために、家庭でできることを具体的に考えてみたいと思います。取り上げるのは以下の5点です。
▼ 小さい子のいる家庭向け
「助けて」を引き出す声かけ
失敗したときの反応の型
「迷惑をかけない」の価値観の更新
▼ 中高生のいる家庭向け
知らないコミュニティに入る中高生の「初動30日」
"前に立たない、でも放り出さない" 親の関与ライン