高校生は実名SNSをやったほうがいい

高校受験を終えた娘がスマートフォンを手に入れました。中学3年生の終わり。今どきの子にしてはちょっと遅い方かもしれません。
そして、初期設定でアプリをインストールしていたときに、こんなことを言いました。
「Facebookやってみようかな?」
どう思います?
正直なところ、いまの若い子がFacebookを使うイメージはなかなかないですよね。むしろ「え、いまさら?」と思う方も多いのではないでしょうか。
でも、私はこれを聞いて、「なかなかいいこと言うな」と思いました。
娘がそう言った理由には心当たりがあります。
以前、長男と次男に対して、私がわりと強めにアドバイスをしていたのでした。「Facebookのアカウントを作っておくといいよ、いつか役に立つから」と。おそらくそのときのやりとりをどこかで覚えていたのでしょう。
ちなみに、長男と次男はそのアドバイスに従ってアカウントをつくりました。ただ、頻繁に更新しているかというと、全然そんなことはないです。ごくたまに投稿する程度で、十分に活用できているとはとても言えません。
でも、それでもいいと思っています。アカウントがあることに意味がある、という考えは今も変わっていません。
その理由について、今日はお伝えしていきたいと思います。
実名SNSに若者がいるとどうなるか
若い人がFacebookやLinkedInのような実名SNSを使うとチャンスが広がる、という話自体は昔からあります。この手の実名SNSはそもそも、使っているのが中高年に偏っており、熱心に使っている層というのが、どちらかといえば社会的に成功した人たちが多い。立場のある人、発信力のある人たちです。
一方で、若者はほとんど使いません。とりわけFacebookに関しては、日常的に活用している10代や20代前半の若者なんて、今はほぼいないと思います。
このアンバランスさこそが、チャンスなのです。
若者が公開投稿を続けていると、それだけで目につきやすくなります。
「こんな活動をしています」「こういう取り組みをしました」と書くと、「おっ、若くてがんばっている子がいるじゃないか、シェアしてやろう」となる。とりわけFacebookは、最近、友達以外のフィード欄にも投稿が表示されるように仕様が変わったので、これまで以上に、応援されたり、紹介されたり、何かの縁につながったりしやすくなっています。要領のいい若者はこの構造にちゃんと気づいていて、うまく立ち回っているんですよね。
一方で、ネットに実名を出したり、顔写真を載せたりすることに対しては、根強い警戒感があります。
情報リテラシーの観点から長年にわたって「個人情報はネットに出すな」と言われてきましたし、今もその傾向は変わっていないのかなと感じています。特に最近は、AIを使ってディープフェイク動画をつくることが簡単になっているので、顔写真を出すことに対するリスクは以前より高まっています。女性はとくにターゲットにされがちです。
こうした考え方自体はまったくもって正しいのですが、それをふまえたうえで、リスクをとって実名でSNS運用をすることには、別の大きな意味があると思っています。
それは、自分の活動履歴を残す場所として、実名SNSは優秀だということです。

〔実名+タイムスタンプ+公開〕の組み合わせが強い
FacebookやLinkedInの投稿には、いくつかの特徴があります。
まず実名で投稿されること。次に、タイムスタンプがつくこと。何年の何月何日、何時に投稿したかが記録されます。そして公開投稿にしておけば、誰でも外部から見ることができる。
この三つが揃っているというのは、ある意味で、自分の公式な活動記録として機能するということです。時間が経てば経つほど、信頼性のある履歴になっていく。後から慌ててつくった自己PRではなく、当時その時点で残されていた記録だからです。
この点が、私はとても大きいと思っています。
そして、最近の教育の流れともつながってきます。
ご存知のように、近年、学校教育のなかに探究学習が取り入れられています。子どもたちの活動の場は確実に増え、以前よりも多くの生徒が、研究発表や課題解決型のプロジェクト、外部コンテストに挑戦するようになりました。
それ自体はとてもよいことですが、裾野が広がるとともに困ったことも生じます。コンテストで取れる賞の数が足りなくなるのです。参加者が増えれば、受賞できる人数の比率は下がるのは当然です。
これが問題になるのは、探究の実績を入試に使おうとしている場合でしょう。「探究で良い賞を目指し、その成果をもって総合型選抜で大学に行こう」というねらいをもって取り組んでいたのに、賞を取ること自体が難しくなってきた。こうした状況は現実に起きています。
実際、コンテストの受賞作品を見ていると、年々内容が高度になってきているように感じます。ということは、以前であれば評価されたかもしれない研究が、今では入賞すら難しくなってきている、ということでもあります。
以前の記事でも取り上げたように、探究系のコンテストの審査には「運ゲー」の要素がどうしてもつきまといます。同じレベルの研究でも、審査員との相性、そのときどきのトレンド、プレゼンの順番など、成果の質とは別のところで結果が影響されることは珍しくありません。
言い方を変えると、「賞が取れなかった=劣っている、価値がない」ではないのです。
そして、本来、探究学習で見られるべきなのは、結果だけではなくプロセスのはず。どんな問いを立て、どう試行錯誤し、どんな困難にぶつかり、そこから何を学んだのか。そこにこそ、その子らしさや学びの深さが出ますし、大学入試の場でも、そのプロセスの部分をもっと丁寧に見ていこうという流れになってきています。
活動のエビデンスを残しておくことの価値
そうなると、重要になってくるのが活動の記録です。
ここで実名SNSにつながるのです。
信頼できる媒体に、タイムスタンプ付きで活動を記録しておく。これは大きな資産になります。
入試だけではありません。
高校生や大学生になると、さまざまなチャンスが広がります。学校外のプログラムへの応募、選考を通った人が参加できるサマーキャンプ、大学生になれば、インターンや奨学金など、世の中には、思った以上にいろいろな機会があります。
そうした機会に応募するとき、求められることが多いのが推薦状です。自己推薦書だけでなく、「あなたのことを知っている大人の人に推薦書を書いてもらってください」というケースが、それなりの頻度であります。
そこで先生やメンター、コーチにお願いするわけですが、どんなに親しい先生でも、生徒一人ひとりの活動を細部まで覚えているわけではありません。では実際どうしているかというと、推薦状の下書きは自分で書くことが多くなります。
そのとき、何も記録が残っていない状態から記憶を掘り起こして書くのと、過去の記録がしっかり残っている状態から書くのとでは、作業の大変さがまったく違います。
「あれ、あの活動っていつだったっけ?」
「どんなことをやったんだっけ?」
タイムスタンプ付きで残してあれば、自分で検索してすぐに見つけられます。
さらに、もう一段先の話があります。
推薦状の下書きを受け取った先生は、あるいは、プログラムの審査官は、提出された推薦書を見てどうするでしょう。書かれていることが本当かどうか確認しようとするかもしれません。
今の時代、AIを使えば動画も写真も合成できます。「こんな活動をしました」と書いてあって、それっぽい写真が添付されていたとしても、「本当かな?」と疑いの余地は残ってしまいます。
でも、当時の記録が、当時の写真が、信頼できるプラットフォームにタイムスタンプ付きで存在していたら。それはかなり強いエビデンスになります。後から改ざんするのは難しいからです。

記録は積み重なるほど強くなる
冒頭に書いたように、長男と次男はすでにFacebookのアカウントを持っていますが、更新はごくたまにしかしていません。でも、それでいいと思っています。
何かの機会に「こんなことをやりました」という投稿を一本入れておく。それだけで、タイムスタンプ付きの記録がひとつ増えます。日常のことをせっせと投稿する必要はなく、記録として残しておきたい出来事があったときだけ投稿する。それで十分です。
娘については、これからスマホを使い始めるタイミングで、そういう使い方を少し意識してみてほしいなと思っています。
実名SNSに活動のポートフォリオを、公式の記録として残しておく。そして時間をかけてそれを積み上げていく。
これは将来、じわじわと効いてきます。
活動はしっかりやっているのに、それがどこにも残っていない、信頼できるかたちで証明できない。これは、かなり大きな機会損失になります。
若い人ほど、時間を味方につけることができるわけですから、早く始めるほど有利です。今から少しずつ積み上げていけば、数年後にはそれがかなりの資産になります。
今は、ちょうど3月。
この記事を読んでいる方のなかには、春から新高校生・新大学生になる方、その親御さんもいると思います。バズるでも、フォロワーを増やすでもない、自分の活動の公式な記録を積み上げていく場としての実名SNSの価値について、ちょっとだけ考えてみてもらえたらうれしいです。
※ 写真の取扱い等には注意が必要です。本記事で言及したディープフェイクだけでなく、周囲の人の肖像権や、制服・背景から学校名や行動範囲が特定されるリスクは無視できません。この点については、十分ご注意ください。
探究学習2.0時代の新しい評価軸
さて、探究学習が普及すると、評価の基準は少しずつ変わっていきます。
何を達成したか以上に、「その問いにどう向き合ってきたか」が見られるようになる。私はそう考えています。